参加者
入社から今日までの
自身の転換期とは
オオバでの経験で自分が「伸びた」「思考が変わった」と思う契機を教えてください。
W.H
- 「考えが変わった」のは上司に言われた言葉がきっかけでした。「新しいものを作ること」と「環境保全」の両立が難しいことは理解していたつもりでしたが、お客様は事業者なので環境保全からのアプローチは思っていた以上にできにくい。そこで上司に相談したら「クライアントにメリットがあるように動く必要はあるが、その範囲内で保全のアドバイスをすれば、方向性を取り入れて事業を進めてくれるかもしれない」と教えていただきました。保全面でもオオバにできることはあると思い直せたのは、今考えると大きいことでした。
O.K
- 私の転機は、名古屋支店配属になったことです。私は東京出身で、名古屋に友達も親戚もおらず当初は心細かったのですが、初めて地元から離れた場所で生活したことで、それまで当たり前に暮らしていた東京が実は特殊な場所であると気づきました。「まちづくり」という仕事をしていく中で、さまざまな人がそれぞれの場所で多様な住まい方をしていることを実感したことは「まちづくり」をする上で大きな経験だったと思います。
K.Y
- 入社してから区画整理部にいて、その後、入社2年目で都市整備部に異動したのが転換点です。私が区画整理部でやっていたことは、里山ワークショップの企画運営など学生の延長線上で、社会人としてお客様とのお付き合いがしっかりできていませんでした。それが明確に切り替わったのがこの時です。「5W1H」「なぜそういう結論になったのか」を考えるようになり、ようやく業務や事業の全体が見えるようになりました。その後、区画整理の業務へ戻りましたが、この都市整備部での経験があり、ようやく区画整理事業を運営する意味が理解できたように思います。
A.S
- オオバに入社する人の多くは狭い意味での「まちづくり」、都市計画や景観、公園設計等に興味がある方が多いと思いますし、事実、私もそうでした。それが蓋を開けてみると配属先が水工課。「おお、マジか!」のスタートでした。最初はギャップを感じましたが、やってみると楽しく、「事業者が困っていることを解決するのが建設コンサルの仕事だ! つまり、土木計画・設計はすべて『まちづくり』だ!」と脳内で転換できるようになりました。それからは、非常に有意義に業務に従事できていることを認識し、より仕事に注力できるようになりました。
C.S
- 私の入社は震災復興期ということもあり、約3年間、現場事務所に通いながら業務をしてきました。業務の仕方から住民との接し方などいろいろと教えてもらい、そこで教えていただいたことは今も役に立っていると感じます。計画業務は「答えがない業務」と思っていて、やればやるほど成果は出ますが、時間は限られている。どこまでやればいいのか悩んでいた時期がありましたが、「80点でもいいのだよ」と言われ、気が楽になりました。あの言葉は今も自分の中に残っています。
I.H
- 転換期で避けて通れないのは、二度の出産と一回の時短勤務。本当の意味で仕事としっかり向き合った時期でした。出産しても絶対に仕事を続けることが念頭にあり、しっかり10カ月準備し、育休の間も戻る準備をしていました。でも復職して時短勤務になり、それまでの仕事のやり方を一度捨てる必要があったのです。以前の自分はやり過ぎていたのかもしれない、とこの時思いました。終わらない業務の中でもコミュニケーションを密にし、自分の事情も踏まえた上で、クライアントと信頼関係を築くことができました。
N.K
- 私の転換期は二つあります。一つ目は関西出身の私が東京に配属となったことです。これは引っ込み思案の私が、何事にも思い切ってチャレンジするようになった転換期となりました。
二つ目の転換期は、入社してすぐに東北の震災復興業務に携わったことです。
震災復興業務では毎日、被災状況を目の当たりにしながら業務に当たりました。そんな中、時には被災し何もかも失った地権者の方と面談する機会もあり、言葉を失うことも少なくはなく、胸を締め付けられる日々を過ごしました。しかしながら、この機会は苦労や理不尽なことも多かったのですが、今思えばよい経験になりましたし、逆に感謝されることもあり、関われてよかったと振り返れます。
また当時の私は極度の人見知りでした。しかしあの環境に置かれて初めて、自分から自発的に発言や行動をしないと、この業界ではやっていけないと感じ、思い切ってそれを実行し続けたことで、今の自分のベースができたと感謝しています。
このようなことから、第二の転換点である東北での半年間は、今も私の大きな財産になっています。
次の100年に向けて
次の100年に向け、伝えていくべき技術の継承や仕事のやり方などについて、ご自身の経験をもとにイメージできることや「こうしたい」という願望を教えてください。
「ものづくり」から「ことづくり」へ
ニーズの変化
今後も「まちづくり」は、なくなりはしないと思いますが、今の状態であり続けるのでしょうか。
最先端の「まちづくり」を
具現化する仲介役としてのオオバ
この先オオバは、どんな知識や技術を蓄えていかなければいけないと思いますか。
「地域密着型採用」は
これからの働き方一つになる
30、40年後、私たちの働き方はどうなっていると思いますか。
誰にも負けない「強み」を作る
みなさんが私(N)くらいの年代(50歳~60歳の間)において、どんな役割をしていると思いますか。
I.H
- 私は、入社当時は50歳で辞めようと思っていました。日本プロ野球12球団を巡るというのが夢なので、できればキャンプから(笑)。でも、時代はいつのまにか医療や技術等の発展で「人生100年時代」といわれており、自分がゴールだと思っていた位置がまだ折り返し地点でしかなくなってしまった。だから自分が50歳になる頃には、本当の意味での働き方改革が進み多様性を認める働き方が浸透し、球団を巡りつつ仕事もできる環境にあればいいなと期待しています。
A.S
- 役割について身近なところで考えますと、私は直近の上司と年が離れていまして。レベルアップして、いつかは上司を超えないといけないと思っています。先達はパワハラ、モラハラの規制のない中、仕事に全力を注ぎ、粉骨砕身しながら知識・技術を身につけました。私たちは逆にそういう規制に縛られた時代の中、先達のそれを超える技術をどうやって効率的に身につけていくのか。ここが非常に大事かと。自分の中で革新的なレベルアップ、歯車がガチっとはまらないと、そうはなれないと思っています。解決策は見えていませんが、日々模索しながら仕事をしています。
K.Y
- 年齢的に今の立場、役割をいえば、「若手」といわれる層の人たちの最前線を走らなければいけません。今、入社した人たちの見本になり、そこから何か変えていくべき立場にあると思うのです。今までの換地技術が仮にAIやDXで進化し省力化されれば、正直、私が区画整理にいる意味はなくなると思います。その時は、オオバの区画整理が換地手法を使った新しいまちづくりとして、いかにパッケージング化して売っていくかが求められる。その辺りを多分、野中副支店長くらいの年齢になるまでにやっていくことになるでしょう。シフトにはおそらく20年ほどかかるので、うまく調整しなければいけませんが。
C.S
- 入社して10年以上になり、さまざまな業務を経験してきました。自分の中に、これは誰にも負けない「強み」を作る必要があると思っています。諸先輩方はその点については「これは○○さん」と役割を確立されていると感じます。どのくらいかかるかはわかりませんが、私も「これは誰に聞けばいい?」と問われ「C.Sさんに聞けば大丈夫」といってもらえる立場にならなければならないと思っています。
I.H
- 上司との面談では技術士として次にどうありたいのか、どんな技術士でありたいのか、何を専門にしていきたいのか、自分は何を武器にしていくのか、と問われます。どう回答しようかと毎回、頭を抱えていますが、50歳になる頃には、現在引っ張ってくださる方々が抜けてしまった穴を埋める自分であればいいなと思っています。あとはC.Sさんが話されたように「誰にも負けない強み」としては、好奇心旺盛ということ、そして諦めの悪さを強みに、やると決めたことは最後までやり通すことのできる自分でありたいです(笑)。
これからの100年に向けて
「次の100年を一緒に作って行く社員のみなさんへ」をテーマにメッセージをお願いします。
K.Y
- 社員皆さんへのメッセージになりますが、「今、オオバとしても世の中的にも転換点なので、そこを『一緒に』頑張って進んでいきましょう」。一方、先輩方にはもう少し会社に長くいていただいて一緒に仕事をしていきたいですね(笑)。
W.H
- 今、30代、40代が少なく、中堅世代が大変そうにしている姿をよく見ます。私たち、若手が早く一人前になり、少しでも手助けできる立ち位置になれるようがんばりますので、技術などを教えていただければと思っています。
O.K
- オオバは自分のやりたいことをやりたいと言える環境にあると思います。これから「まちづくり」のやり方がどんどん変わっていく中、当社が掲げる社是である「誠」「積極進取」「和」のうち、特に「積極進取」が重要になります。どんどん新しいことを取り入れ、若い人がやりたいことに理解を示していただき、しっかり受け止めていただければありがたいです。
A.S
- この仕事を突き詰めれば結局は人と人だな、とつくづく感じます。オオバに入ってよかったと思ったのも人と人とのつながりです。これからも「まち」をよくするために、そうしたつながりを大事にする会社であってほしいですね。
C.S
- 100年というととても長く感じ、先が想像できないのですが、皆さんとお話して、これまでの100年でオオバの礎が培われてきたのだと改めて感じました。次の100年を一緒に作っていく中で、今この時、そして一年を大事にし、諸先輩方と協力していけたら素晴らしいと思います。
I.H
- 皆さん、仕事を「好き」でいてください。私は入社してすぐ、当時の副支店長に「好きであれば何でもできるから大丈夫」といわれました。これから100年の間で女性社員が当たり前に増え、誰もが働ける環境がさらに進むでしょうが、その中でも原点は「好き」。そこだけは譲らず、また失わないでいただきたいと思います。
N.K
- 次の100年といわれると途方もなく、そこを見据えることは困難で、不安になることもあると思います。でも不安なのは一人ではないです。こんなときこそ皆で考え、進んでいけるこの瞬間を楽しみたいと私は考えます。こういうメンバーで話ができたのもそうですし、100年目のスタートに立てるのは今しかないです。「この節目の一瞬を共有できる」ということは、それだけ稀有なことで素晴らしいことだと思います。このタイミングに巡り合えたことに感謝し、一緒に楽しく働いていきましょう。
人と人がつながり続けているのがオオバ。これから、つながる先がさらに多くなり、より楽しく面白くなっていくでしょう。その100年の節目と、これからの100年を見られる立ち位置は非常に幸せだと思っております。今日は本当にありがとうございました。