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これからの100年につないでいきたいこと 自分の役割は? 何を変え、何を変えないか? PC版これからの100年につないでいきたいこと 自分の役割は? 何を変え、何を変えないか? スマホ版

今後、オオバの未来を担っていく若手社員の方々に集まってもらい、「オオバの未来」をテーマに座談会を行った。
現在の社員はもちろん、未来の社員にもオオバのDNAを社員の生の声とともに伝える。

参加者

  • [進行役] N.Tさん (1994年入社) 副支店長 東京支店 司会・進行
  • N.Kさん (2012年入社) 東京支店 地理空間情報部 空間計測課
  • K.Yさん (2016年入社) 東京支店 区画整理部 区画整理一課
  • W.Hさん (2019年入社) 東京支店 環境部 環境アセスメント課
  • O.Kさん (2019年入社) 名古屋支店 まちづくり計画部 計画設計課
  • I.Hさん (2012年入社) 大阪支店 設計部 道路構造課
  • C.Sさん (2013年入社) 東北支店 まちづくり部 計画設計課
  • A.Sさん (2014年入社) 九州支店 設計部 水工課

入社から今日までの
自身の転換期とは

オオバでの経験で自分が「伸びた」「思考が変わった」と思う契機を教えてください。

N副支店長

W.Hさん
W.H
「考えが変わった」のは上司に言われた言葉がきっかけでした。「新しいものを作ること」と「環境保全」の両立が難しいことは理解していたつもりでしたが、お客様は事業者なので環境保全からのアプローチは思っていた以上にできにくい。そこで上司に相談したら「クライアントにメリットがあるように動く必要はあるが、その範囲内で保全のアドバイスをすれば、方向性を取り入れて事業を進めてくれるかもしれない」と教えていただきました。保全面でもオオバにできることはあると思い直せたのは、今考えると大きいことでした。
O.Kさん
O.K
私の転機は、名古屋支店配属になったことです。私は東京出身で、名古屋に友達も親戚もおらず当初は心細かったのですが、初めて地元から離れた場所で生活したことで、それまで当たり前に暮らしていた東京が実は特殊な場所であると気づきました。「まちづくり」という仕事をしていく中で、さまざまな人がそれぞれの場所で多様な住まい方をしていることを実感したことは「まちづくり」をする上で大きな経験だったと思います。
K.Yさん
K.Y
入社してから区画整理部にいて、その後、入社2年目で都市整備部に異動したのが転換点です。私が区画整理部でやっていたことは、里山ワークショップの企画運営など学生の延長線上で、社会人としてお客様とのお付き合いがしっかりできていませんでした。それが明確に切り替わったのがこの時です。「5W1H」「なぜそういう結論になったのか」を考えるようになり、ようやく業務や事業の全体が見えるようになりました。その後、区画整理の業務へ戻りましたが、この都市整備部での経験があり、ようやく区画整理事業を運営する意味が理解できたように思います。
A.Sさん
A.S
オオバに入社する人の多くは狭い意味での「まちづくり」、都市計画や景観、公園設計等に興味がある方が多いと思いますし、事実、私もそうでした。それが蓋を開けてみると配属先が水工課。「おお、マジか!」のスタートでした。最初はギャップを感じましたが、やってみると楽しく、「事業者が困っていることを解決するのが建設コンサルの仕事だ! つまり、土木計画・設計はすべて『まちづくり』だ!」と脳内で転換できるようになりました。それからは、非常に有意義に業務に従事できていることを認識し、より仕事に注力できるようになりました。
C.Sさん
C.S
私の入社は震災復興期ということもあり、約3年間、現場事務所に通いながら業務をしてきました。業務の仕方から住民との接し方などいろいろと教えてもらい、そこで教えていただいたことは今も役に立っていると感じます。計画業務は「答えがない業務」と思っていて、やればやるほど成果は出ますが、時間は限られている。どこまでやればいいのか悩んでいた時期がありましたが、「80点でもいいのだよ」と言われ、気が楽になりました。あの言葉は今も自分の中に残っています。
I.Hさん
I.H
転換期で避けて通れないのは、二度の出産と一回の時短勤務。本当の意味で仕事としっかり向き合った時期でした。出産しても絶対に仕事を続けることが念頭にあり、しっかり10カ月準備し、育休の間も戻る準備をしていました。でも復職して時短勤務になり、それまでの仕事のやり方を一度捨てる必要があったのです。以前の自分はやり過ぎていたのかもしれない、とこの時思いました。終わらない業務の中でもコミュニケーションを密にし、自分の事情も踏まえた上で、クライアントと信頼関係を築くことができました。
N.Kさん
N.K
私の転換期は二つあります。一つ目は関西出身の私が東京に配属となったことです。これは引っ込み思案の私が、何事にも思い切ってチャレンジするようになった転換期となりました。
二つ目の転換期は、入社してすぐに東北の震災復興業務に携わったことです。
震災復興業務では毎日、被災状況を目の当たりにしながら業務に当たりました。そんな中、時には被災し何もかも失った地権者の方と面談する機会もあり、言葉を失うことも少なくはなく、胸を締め付けられる日々を過ごしました。しかしながら、この機会は苦労や理不尽なことも多かったのですが、今思えばよい経験になりましたし、逆に感謝されることもあり、関われてよかったと振り返れます。 また当時の私は極度の人見知りでした。しかしあの環境に置かれて初めて、自分から自発的に発言や行動をしないと、この業界ではやっていけないと感じ、思い切ってそれを実行し続けたことで、今の自分のベースができたと感謝しています。 このようなことから、第二の転換点である東北での半年間は、今も私の大きな財産になっています。

次の100年に向けて

次の100年に向け、伝えていくべき技術の継承や仕事のやり方などについて、ご自身の経験をもとにイメージできることや「こうしたい」という願望を教えてください。

N副支店長

I.Hさん
I.H
「常識」とは長い間に培われた「偏見」で、今、適しているだけなので壊して次に行けると思うのです。現在のやり方を絶対的「正」とすることなく進もうと思います。
N.Kさん
N.K
過去の経験や得た知識を継承していくことも大事ですが、時代の変化にも柔軟に対応する必要があると考えます。また組織内では若手層、中堅層、ベテラン層と多層構造になっているため、それをどう一つにまとめて業務を遂行していくかも重要です。
現在の各層の考えは固定され、あるいは偏向したまま進んでいるために、うまく交わっていない部分もあるのが実状です。その解決策としてはまず「コミュニケーションを活発に行う」「若手層のやりたいことを許容する視野の広い考え方を中堅層以上が持つこと」が必要だと考えます。しかしながら「それは昔やって失敗したから」など、許容できない理由を伝え、各層間で議論を交わすのも大切です。
したがってこれらのことを踏まえ、私は各層間の潤滑油になり、お互いに歩み寄ることを補助し「まちづくり」をうまく回したいと考えます。

それはやはり「提案力」が重要だと考えます。

N副支店長

N.Kさん
N.K
お客様の要望通りに実行することは、努力すれば達成できると思います。しかし、私たちは総合建設コンサルタントです。お客様の要望通りに実行するに留まらず、お客様の要望する先を見据え、さらによい結果をもたらす「提案」をしなければならないと考えます。
したがってオオバは今以上に、他社には真似できない「まちづくりの経験と知識をもとにした提案力」を高めていく必要があると考えます。
C.Sさん
C.S
最近の業務はプロポーザルが増え、提案力がすごく求められていることを実感しますね。
O.Kさん
O.K
提案力というと、「個人の提案」ではなく「オオバの提案」として受け入れてもらえている気がします。入社1、2年目の時に私が提案しても、内容の妥当性や整合性はある程度は担保されているだろうとの見地で聞いてくれる気がしました。地方自治体に問い合わせても「オオバの人なら、これくらいの説明でわかってくれるよね」といった対応が多く、初めを端折り、いきなり専門的なことを教えてくれたりもします。先達のご苦労の積み重ねによる恩恵を感じました。本当にありがたいことだと思っています。新しいことに取り組むとともに、今まで積み上げてきたもの・ことを、私たちが壊さないように次世代につなげていくことも考える必要があります。
W.Hさん
W.H
オオバの環境アセスメント業務は、官庁業務より民間業務が多い。民間企業の方からもオオバを指名で「やってください」と言ってくださることがあります。
A.Sさん
A.S
私は官庁業務が多いですが、諸先輩方の中には、民間企業から一貫して「あの人なら安心して任せられるから」と指名を受け、途絶えることなく業務を受注し、仕事を回す方がいらっしゃいます。その背中を見ていると、信頼性と技術力のすごさを感じます。そういった技術者が各拠点に多く出てくれば、真からの底上げにつながると思います。

「ものづくり」から「ことづくり」へ
ニーズの変化

今後も「まちづくり」は、なくなりはしないと思いますが、今の状態であり続けるのでしょうか。

N副支店長

I.Hさん
I.H
現在の設計はさまざまな制約や条件から最適を選定していますが、今後、自動運転化や規格の平準化、AIによる技術発展の先に本当に人がいなくてもよくなるのであれば、「まちづくり」の形は変わっていくと思います。現在盛んにいわれる「コンパクトシティ」の在り方を変えると思います。さらにもっと先の未来、三次元的に空間を使えるようになれば楽しい設計になる。そういう社会になれば、そんな「まちづくり」ができます。今の形の「まちづくり」が縮小化する代わりに違う形の「まちづくり」が登場する。そこに柔軟に対応することを今後、当社は求められます。
K.Yさん
K.Y
「まちづくり」の主体がインフラあるいは「ものを作る」から、「人と人との関係」を作ることに移行していると思うのです。そうなると計画系の人たちの領域がどんどん広がる。私たちが今手がけている道路にしても、さまざまなイベント実施が可能となるなど、「垣根」を超え新しい「まち」に寄与する何かが出てくるのだと思います。そこにオオバがどう関わっていけるか。
I.Hさん
I.H
「ただの道路ではない」「ただの『まち』ではない」といった「付加価値」がどれだけつけられるか、でしょうね。
K.Yさん
K.Y
例えば、下水道設計においても半永久的に使える素材ができれば、交換や更新をする必要がなくなりますし、併せて大きな空間を作っておけば、下水道の機能を維持しつつ災害にも強いまちづくりができるわけです。

確かに直近では、ものづくりからことづくりへ変わってきていることが体感できます。たぶんそれがキーワードになるのではないでしょうか。

N副支店長

I.Hさん
I.H
道路構造令の変遷を見ても、「賑わい空間としての道路構造」や「観光地・自然豊かな地域における道路の構造」など「道路空間をどのように使いたいのか」という多様な機能を重視した考え方に変わってきました。ただ歩くだけではない、道を走るだけではない「まちづくり」空間。そこにはもちろん守るべきルールはありますが、それが緩和されている部分でいかに求められるものを表現できるかを考えることが大事です。
O.Kさん
O.K
横浜スタジアムを軸とした新たな「まちづくり」やにぎわい創出をテーマとする講習会や、広告業界の方が「まちづくり」に参画した事例を基にした講習会に参加したことがあります。「まちづくり」の幅が広がったときに参入してくるライバルは同業他社だけではなく、多彩な発想力を持って「まちづくり」や「ことづくり」の事業を主体的に展開できる他業界の会社も含まれることに気づきました。私たちはどうしても地に足のついた計画しか作れないところがあり、ちょっとまずいという危機感を覚えた反面、チャンスだとも感じたのです。今まで積み上げられてきた都市計画から離れた視点より切り込まれた型破りで大胆な提案は、行政担当者から「無理」と却下されてしまうものも少なくないと思います。そこを当社のようなコンサルが仲立ちし、実現するためのアドバイスや支援を行う道も今後はあるのではないか、と思いました。
N.Kさん
N.K
O.Kさんがおっしゃったように「型破りな考えの人たち」が多い世の中になってきました。 そんな世の中の状況下では、今のままのまちづくりのやり方ではニーズを満たすことはできないのではないか、オオバも柔軟に変化しないといけないのではないかと感じています。例えば「まちづくり」にプラスαの要素を付加できる技術力を持つ企業と組むのか、それともオオバでプラスαできる技術力を身につけていくのか。今はそれを決める転換点だと現場では感じています。

最先端の「まちづくり」を
具現化する仲介役としてのオオバ

この先オオバは、どんな知識や技術を蓄えていかなければいけないと思いますか。

N副支店長

N.Kさん
N.K
まずは投資しているものを、きちんと使うことだと思います。新しいものを覚えるのは大変ですが、使いこなせるようになると、違った視点で見られる・考えられるようになるのがすごく楽しいはずです。今の若手層も使おうとはしているのですが、上の理解がなく諦めてしまう例もあります。そういうことは今後改善していきたいものです。
O.Kさん
O.K
「まちづくり」を標榜する中でも、多様化する暮らし方を見据えた提案ができるようになりたいです。最先端の「まちづくり」を具現化するには柔軟な発想力が必要不可欠になるため、提案の幅を広げる意味でも多分野の技術や知識が必要になると思います。ただ、採算が取れるかわからないものにどれほどコストをかけてもらえるか。これまで続けてきた業務とバランスをとりつつ、少しずつ新しいことに挑戦していければいいですね。次の「まちづくり」に向け、まずはやってみることが大事と思います。
A.Sさん
A.S
パッケージングで売り込むのは、いったん火がつけば長く売り込んでいける点で、手法としてありだと思います。民間をターゲットにした「オオバタウン」として測量、計画、設計、維持管理の全てができる仕事があればぜひ、皆さんと連携してやってみたいですね。もう一つは業界での立ち位置ですね。自分は今この年齢でこういう仕事をしているけれど、他のコンサルタントの技術者が、どういう視点でどんな仕事をしているのだろうと絶えず感じ取り、業界における自身や会社の現在地を確認する機会が重要だと思います。

「まちづくり」では結構好きなことがいえますが、インフラや環境との両立は難しい問題です。

N副支店長

W.Hさん
W.H
そうですね。話を聞いて思ったのは、将来「まちづくり」の形が変わっていくことで、周囲に与える環境影響も違ったものになってくる。新しい「まちづくり」に伴い、どのような影響が発生するのか、それを想像する力が必要かと思います。

「地域密着型採用」は
これからの働き方一つになる

30、40年後、私たちの働き方はどうなっていると思いますか。

N副支店長

W.Hさん
W.H
例えば、業務の効率化が進んで一度に担当する案件が増えると、一つの案件に対する理解がどうしても薄まってしまう気がします。効率化がどこまで進むかわかりませんが、仕事に対する向き合い方を自分で考えないといけないと思います。

特に東京の環境アセスメントは、水を採取しDNAを調べれば生物相がわかる世界になっていくと思います。そういった技術が進化するほど、仕事のやり方は大きく変わりそうですね。

N副支店長

C.Sさん
C.S
すでにサテライトオフィスなど、働ける拠点がありますが、さらにどこでも仕事ができるようになっていくと思います。そうなったときに仕事のオンオフや、自分のプライベートも確保する必要がありますね。
K.Yさん
K.Y
学生の研究だったらある地域に入り、その地域を活性化させる活動ができると思います。しかし企業になるとお金のこともあり、どうしても仕事優先になってしまう。逆に「どこでも働ける」のであれば、オオバが「ある地域」の活性化業務を受け、オフィスにこだわらずに3、4人で地域に入り込み、働きながら他業務もこなすスタイルはありだと思います。

地域密着は「まちづくり」の基本ですから。ものを作ろうがことを作ろうが、重要です。

N副支店長

O.Kさん
O.K
打ち合わせでしか行かない「まち」は、平日の日中の姿しかわかりません。「まちづくり」の第一歩は、平日の夜や土日はどれくらい人がいるのか、地域の拠点はどこなのか、みんながどんな風に暮らし、働き、遊び、何に困っているかなど、「まち」の姿を知ることだと思います。実際に住んでみないとわからないことも多いですが、何回も足を運ぶことが大切だと思います。
K.Yさん
K.Y
「地域密着型採用」があれば、そこを拠点にしながら他業務も手がけることはあり得ますね。
C.Sさん
C.S
O.Kさんが話されたように、計画ものは現場に行かないとそのまちの雰囲気や人の感じなどわからないことがたくさんあります。住民の方と触れ合うことで見えてくることもある。あとは、ある業務では調査がすごく大事で、ほぼ1日中現場に張りついて調査というのが連日続くことがあり、早朝から現地に行き、深夜に帰宅というサイクルが大変でした。定住とまではいかなくても、そこに事務所という拠点があり、調査できる環境が必要だなとは感じました。

地域拠点での仕事の仕方。震災の時が実際そうでした。

N副支店長

誰にも負けない「強み」を作る

みなさんが私(N)くらいの年代(50歳~60歳の間)において、どんな役割をしていると思いますか。

N副支店長

I.Hさん
I.H
私は、入社当時は50歳で辞めようと思っていました。日本プロ野球12球団を巡るというのが夢なので、できればキャンプから(笑)。でも、時代はいつのまにか医療や技術等の発展で「人生100年時代」といわれており、自分がゴールだと思っていた位置がまだ折り返し地点でしかなくなってしまった。だから自分が50歳になる頃には、本当の意味での働き方改革が進み多様性を認める働き方が浸透し、球団を巡りつつ仕事もできる環境にあればいいなと期待しています。
A.Sさん
A.S
役割について身近なところで考えますと、私は直近の上司と年が離れていまして。レベルアップして、いつかは上司を超えないといけないと思っています。先達はパワハラ、モラハラの規制のない中、仕事に全力を注ぎ、粉骨砕身しながら知識・技術を身につけました。私たちは逆にそういう規制に縛られた時代の中、先達のそれを超える技術をどうやって効率的に身につけていくのか。ここが非常に大事かと。自分の中で革新的なレベルアップ、歯車がガチっとはまらないと、そうはなれないと思っています。解決策は見えていませんが、日々模索しながら仕事をしています。
K.Yさん
K.Y
年齢的に今の立場、役割をいえば、「若手」といわれる層の人たちの最前線を走らなければいけません。今、入社した人たちの見本になり、そこから何か変えていくべき立場にあると思うのです。今までの換地技術が仮にAIやDXで進化し省力化されれば、正直、私が区画整理にいる意味はなくなると思います。その時は、オオバの区画整理が換地手法を使った新しいまちづくりとして、いかにパッケージング化して売っていくかが求められる。その辺りを多分、野中副支店長くらいの年齢になるまでにやっていくことになるでしょう。シフトにはおそらく20年ほどかかるので、うまく調整しなければいけませんが。
C.Sさん
C.S
入社して10年以上になり、さまざまな業務を経験してきました。自分の中に、これは誰にも負けない「強み」を作る必要があると思っています。諸先輩方はその点については「これは○○さん」と役割を確立されていると感じます。どのくらいかかるかはわかりませんが、私も「これは誰に聞けばいい?」と問われ「C.Sさんに聞けば大丈夫」といってもらえる立場にならなければならないと思っています。
I.Hさん
I.H
上司との面談では技術士として次にどうありたいのか、どんな技術士でありたいのか、何を専門にしていきたいのか、自分は何を武器にしていくのか、と問われます。どう回答しようかと毎回、頭を抱えていますが、50歳になる頃には、現在引っ張ってくださる方々が抜けてしまった穴を埋める自分であればいいなと思っています。あとはC.Sさんが話されたように「誰にも負けない強み」としては、好奇心旺盛ということ、そして諦めの悪さを強みに、やると決めたことは最後までやり通すことのできる自分でありたいです(笑)。

これからの100年に向けて

「次の100年を一緒に作って行く社員のみなさんへ」をテーマにメッセージをお願いします。

N副支店長

K.Yさん
K.Y
社員皆さんへのメッセージになりますが、「今、オオバとしても世の中的にも転換点なので、そこを『一緒に』頑張って進んでいきましょう」。一方、先輩方にはもう少し会社に長くいていただいて一緒に仕事をしていきたいですね(笑)。
W.Hさん
W.H
今、30代、40代が少なく、中堅世代が大変そうにしている姿をよく見ます。私たち、若手が早く一人前になり、少しでも手助けできる立ち位置になれるようがんばりますので、技術などを教えていただければと思っています。
O.Kさん
O.K
オオバは自分のやりたいことをやりたいと言える環境にあると思います。これから「まちづくり」のやり方がどんどん変わっていく中、当社が掲げる社是である「誠」「積極進取」「和」のうち、特に「積極進取」が重要になります。どんどん新しいことを取り入れ、若い人がやりたいことに理解を示していただき、しっかり受け止めていただければありがたいです。
A.Sさん
A.S
この仕事を突き詰めれば結局は人と人だな、とつくづく感じます。オオバに入ってよかったと思ったのも人と人とのつながりです。これからも「まち」をよくするために、そうしたつながりを大事にする会社であってほしいですね。
C.Sさん
C.S
100年というととても長く感じ、先が想像できないのですが、皆さんとお話して、これまでの100年でオオバの礎が培われてきたのだと改めて感じました。次の100年を一緒に作っていく中で、今この時、そして一年を大事にし、諸先輩方と協力していけたら素晴らしいと思います。
I.Hさん
I.H
皆さん、仕事を「好き」でいてください。私は入社してすぐ、当時の副支店長に「好きであれば何でもできるから大丈夫」といわれました。これから100年の間で女性社員が当たり前に増え、誰もが働ける環境がさらに進むでしょうが、その中でも原点は「好き」。そこだけは譲らず、また失わないでいただきたいと思います。
N.Kさん
N.K
次の100年といわれると途方もなく、そこを見据えることは困難で、不安になることもあると思います。でも不安なのは一人ではないです。こんなときこそ皆で考え、進んでいけるこの瞬間を楽しみたいと私は考えます。こういうメンバーで話ができたのもそうですし、100年目のスタートに立てるのは今しかないです。「この節目の一瞬を共有できる」ということは、それだけ稀有なことで素晴らしいことだと思います。このタイミングに巡り合えたことに感謝し、一緒に楽しく働いていきましょう。

人と人がつながり続けているのがオオバ。これから、つながる先がさらに多くなり、より楽しく面白くなっていくでしょう。その100年の節目と、これからの100年を見られる立ち位置は非常に幸せだと思っております。今日は本当にありがとうございました。

N副支店長