未来のまちをつくる
“ 民間のプロジェクトで得た成長 ”
東京ミッドタウンマネジメント株式会社・代表取締役社長
藤山 吾朗 氏
「Fujisawaサスティナブル・スマートタウン構想」において、2011年からプロジェクトのコーディネーターとして土地区画整理事業を推進したのが、当時、三井不動産株式会社開発企画部グループ長だった藤山吾朗氏である。同氏から見たオオバの仕事ぶりについてお話を伺った。
※記事中の所属・役職は取材当時(2022年12月)のものです。
「実はFujisawaサスティナブル・スマートタウン(以下、藤沢SST)以前に、三井不動産として神奈川県内の測量業務等をオオバさん(以下、オオバ)にご依頼したことがあります。その際のお仕事ぶりから、私は藤沢市での土地区画整理事業についても、是非、オオバにご担当頂きたいと考え強く推奨しました」。
しかし、官民を通じ誰も経験したことのない先進的なまちづくりということで、土地区画整理事業も数々の困難に遭遇した。
「まちづくりが完成するまでには個別に多くの法律があって、それぞれのプロがオオバにはいらっしゃるわけですが、事業者サイドは、そうした個々の法律には書かれていないことを、上位構想として掲げ、それを実現するようオオバに要請するわけです。たとえば、丸い公園。公園は面積や形状などが法律で厳格に決まっているのに、丸い公園を作り、完成後は行政に管理してもらえるよう行政を説得しなければなりませんでした」。
こうした厳しい状況を乗り越えることができた要因はオオバの提案力にあったと藤山氏は語る。「行政を説得するために必要なものは先行事例と条文解釈です。そっくり同じ丸い公園はもちろん存在しませんが、それでも、関連する事例を探し出し、行政マンが上司を説得できるような材料をオオバのみなさんは一生懸命に集めて来られたのです。しかも、丸い公園のケースなどは、ほんの一例に過ぎず、本当にご苦労されていました」。
未知のプロジェクトにあって、事業者が何を大事にして何を実現したいのか、オオバは本プロジェクトの「思い」を理解しようと手探りで仕事を進めていった。
「私は事業者の立場に立って、事業者が何を求めているかをオオバのみなさんにお伝えする“通訳”のような立ち位置でもありました。オオバの方々は、例外があるなら例外を全部潰してから先に進めたいと考える几帳面でまじめなコンサルさんなので、『事業者が知りたいのはそうした全部のことではなく、“これが突破できるかどうか”の一点なので、それ以外の仕事はしなくていいから、この点だけを詰めてほしい』というような要望を出し続けました。みなさん、すごくまじめに図面を書かれるので、その仕事をできるだけ減らして差し上げたかったのです」。
このプロセスを通じて、オオバの仕事ぶりにも明らかな変化が生じていったと藤山氏は言う。「それまでオオバのみなさんが得意とされていた几帳面な仕事の進め方は、お役所相手なら正しくても、民間のプロジェクト内においては、他の何をおいても“時間”こそが優先されるべきなどと、民間の事業において働かせるべき“頭の回路”があるということをご理解頂けたのではないかと思います」。
藤山氏は2014年をもって本プロジェクトから離れたが、今も強く印象に残っていることはオオバとともに乗り越えた警察協議だったと明言する。
「交通協議が最大の難関で、予想をはるかに超えた1年半もの期間を要し、このままでは開業できないのではないかと懸念されるほどでした」。
とりわけ、事態を難しくしたのが信号機の設置問題だったという。
「藤沢SSTの敷地は広大ですので、住宅地とはいえ交通発生量が多くなります。そのため、敷地内に道路を作り、それを県道43号にアクセスするためには信号機の設置が必須でした。県の土木事務所との協議から始まり、所轄の警察署、さらには県警本部との協議へと進んでいったわけですが、県警本部との協議が最も大変でした。オオバのみなさんが、県警に求められた通り図面を描いたつもりで協議に臨んでも、県警からOKをもらえないことが続きました。そういう中にあっても、求められる図面を描き続けたのです。それだけでも私はオオバに大感謝です」。
そして迎えた2014年10月28日。警察協議を乗り越え、藤沢SSTから県道43号にアクセスする場所に設置された信号は、遂に灯ったのである。
「その瞬間を見に行きましたが、感無量で胸がいっぱいになりました」。
翌月には藤沢SSTの「まちびらき」が行われ、T-SITEもオープン。本プロジェクトにおける最大の山場は超えたと判断した藤山氏は本プロジェクトを離れたのだった。